2打差を追って3位タイから出た最終日は3番で、3メートルのパーパットを3パット。
「1メートルもない返しをペロっと外した」と、ダブルボギーを叩いて、いつもなら「そこでダダっといくところ。でも、次のパー3でバンカーに入れてパーで上がるとか。耐えるゴルフができたんじゃないか。成長した部分」。
昨年は、初日を首位で出た試合が2度あるがいずれも最後に順位を落とした。
初日を2位で出た今週は、最終日の優勝争いに加わることを、課題としていた。
2日目の順延で、消化に2日かかった第2ラウンドでトリプルボギーを含む「73」を叩いて陥落しながら、続く第3ラウンドの「65」ですぐ復活。
準地元の岐阜県恵那市出身で、「応援にきてくださる方に、優勝争いしているところを見せて恩返しがしたい」と話していた。
2000年大会で初優勝を達成したツアー7勝の叔父・康晴(やすはる)に続く「おじ」「おい」同一大会Vは披露できなかったが「今日は上位で行って順位を落とさず、16番でバーディ獲って、いい形で締めくくれた」と、落胆しない。
地元愛知で史上初となる初優勝からの2週連続優勝を狙った桂川有人(かつらがわ・ゆうと)は1つ後輩で、フィリピン留学後の進学に悩んでいた桂川を日大に誘ったのが今野だった。
「絶対に日大に来たほうがいいよ、と言いました」。
最後は24位に終わったが、3日目までしっかり上位争いをしていた後輩。
「あいつがこうして頑張っているのは刺激になります」。
アンダー25の一人としてこれから自分も盛り上げていく。