通算8アンダーまで伸ばして午前終了時点の暫定トップに立った。
1番から出て後半の12番までパーとバーディを、交互に繰り返すこと実に6回。
「奇数が全部パーで、偶数が全部バーディ」と、おかしそうに笑い、「16番はフェアウェイにいかなかった。セカンドでグリーンを外して難しいバンカーショットになったが4メートルのパーパットが入った」と、難関の和合をボギーフリーで回り切った。
「トリッキーなコースなので獲りに行くとボギーになる。リラックスして楽しくラウンドすることが大事だね」と、笑顔で話す表情は、うって変わって穏やかだ。
2013年に日本に来て、3年目の「東建ホームメイトカップ」で3差から逆転の初Vを飾ったころは、今よりワイルドな雰囲気だったし、やんちゃな印象があった。
昨年は、2月に豪州ツアーで4年ぶりの4勝目を挙げたが、異変は4月の日本開幕戦で、最終日最終組を戦い終えたあと。
「寒気がする」と即、帰国。そこから精密検査を重ねて、闘病生活に入った。
白血病と診断を受けた際は、「死ぬんじゃないか」と恐れたそうだ。
体重は15キロ減。
フィールドに戻るのも、もはや絶望的に思われたが、顕著な回復が見え始めたのが同年11月。
「そこから、食べて食べて食べて…」体力・筋力ともに戻して、ブランク後に合わせてスイングも変え、病気やけがによる特別保障制度を適用し、先月の開幕戦から奇跡的に復帰した。
「入院中に、たくさんの人たちから励ましをもらった。日本ツアーの選手たちやスタッフのみなさんからメールや手紙をいただき、力になった」と、感謝の帰還。
「こうしてゴルフができるのも当たり前ではない。ここに戻ってこられただけ幸せ」と、実感がこもる。
「病気になって、より家族のことを思うようになった」と、母国で待つ5歳と9歳の愛娘に思いを馳せる。
日本では、最終日の5月5日がこどもの日。
「娘たちに復活優勝を届けられたら最高だけど、まずはプレーができることに感謝しながら、楽しむこと。そこに集中したい」と、そこまでは終始、柔和な笑みだったが、昨今の円安について話が及んだ際だけ「so bad(ソーバーッド=いただけないね)!」。
この時ばかりはへの字になった。