1日、涙が止まらなかった。
高齢のご両親のために、出身のフィジーに帰ることを決断したラジ―フさん。
最後まで迷っていたラジ―フさんの背を押したのは、池田自身だ。
今年お互い40歳。
「彼にも第二の人生があるし、家族があるし、もう若くないから。今度は俺が彼の応援をしてやりたいんだ」。
頭ではわかっても、心は離れがたい。
2017年の最終戦から組んだ。
19年のミズノオープンで、通算21勝目を分かち合った。
「でも、コロナみたいなわけのわかんないのもありましたし…」。
22年には、顎関節に起因する体の痛みを発症してシード落ちを喫した。
「俺が勇太を復活させる」と、どん底でこそ寄り添ってくれたラジ―フさん。
「どんな時も俺のために全力を尽くしてくれて。俺の手となり足となり。相思相愛。女房のような存在です」。
ラストゲームは、裏街道の10番ティから出て60位に終わった。
「最後だから。いいゴルフをしたかった。別れるまで厳しい現実を突きつけられて、それを見ているのもつらかったと思う」と、最後まで無二の相棒を思いやった。
「彼との関係はこれで終わりじゃない。一人でつらいところもあるけど。彼に喜んでもらえるようなゴルフができるように。来週から頑張る」。
ラジ―フさんも泣いていた。
「本当に、勇太と復活がしたかったんだ」と、嗚咽した。
「また何年後かに帰ってくる。また勇太が勝てると信じてる」と涙を拭いた。
ゆびきり代わりにぎゅっと抱き締め合った。