長年、池田勇太の専属をつとめたラジさんが、キャディをつとめるのも今大会で最後。
出身のフィジーに帰郷し、ナタンドラ・ベイ・チャンピオンシップというゴルフコースで、ヘッドプロ兼支配人として新たな人生を歩むことになった。
日本ツアー3勝のディネッシュ・チャンドの親戚にあたり、彼のキャディとして来日してから20年。
日本で結婚もした。
今週24日には、40歳の誕生日を迎えて「フィジーと日本とでちょうど半分ずつになった」。
奥様が日本人ということもあり、「本当はずっと日本にいたかった」というラジさんの後ろ髪を引いたのが、何より池田の存在だった。
初めて担いだのは2017年。
2年後の2019年にはミズノオープンで、通算21勝目を支えた。
永久シードの25勝へカウントダウンも始まり、「勇太ともっともっと、勝つつもりだったけど…」。
コロナ禍を経て、22年に池田が顎関節症に起因する全身の痛みを発症。
手術を重ねるなど、23年には賞金シード落ちを喫した。
「もういちど勇太と必ず復活を」。
ゴルフ人生最大の窮地に見舞われた池田を一番そばで支えてきたのだが、このオフ、里帰りをした際に、高齢のご家族が一時、危篤状態に陥るなど、予断を許さない状況になった。
おりしも故郷での再就職先から誘いを受けた時は、幾日か眠れないほど悩んだというラジさん。
「ずっと勇太のそばにいたかったから」。
決断できずにいた背中を誰より押してくれたのが、池田だった。
「帰れよ、当たり前だろ、って。ご家族を看てあげな、って。いつまでキャディをやるつもりだよ、って…」。
強い口調も、自分を一番に思ってくれてのことだとすぐにわかった。
試合中に、ラジさんの判断ミスでスコアを落とした時にも「ごめんね」と謝ると、「そこに打ったのは俺だから。俺たちはチームだけど、あくまでも結果はすべて俺の責任だから」と言って、池田はラジさんを責めることは一度もなかったという。
「勇太にはそういう男気がある」と、ラジさん。
そんな池田との別れの時が近づいている。
「俺とは最後だから。今週は絶対に頑張りたいって言ってくれているんだけど…」。
池田がぎっくり腰を発症したのは先週の金曜日。
おりしも、10日間に及ぶプロアマ戦中で、池田はそのうち最大7日のご指名を受けており「高いお金を払ってきてくださっている。絶対にやめられない」と、プレイベントを回り切り、24日にスタートした本戦も「少しでも上へ」と気は張るが、2日目を終えて通算2アンダーは76位タイ。
「ショットも、パットも、上手く行かない」と池田。
「でも、ハマればスコアが出るコースなので」と、諦めない。
「お互いに、笑って終わる」。
長年尽くしてくれた恩人に、残り2日も全力プレーを捧げる。